地図の都合のよいところを一部分抜出し、漁船操業許可区域を表す点線を領土領海線と捏造する南朝鮮の学者
地図の都合のよいところを一部分抜出し、漁船操業許可区域を表す点線を領土領海線と捏造する南朝鮮の学者は良心というものを持っていないに違いない。
『東海(日本海)に一直線で引かれた国境線が、鬱陵島の東側を通過している地図がある。国境線は、独島(日本名:竹島)付近で右に曲がり、半円形を描いている。独島が日本領ではなく韓国領だという事実をはっきりと示しているのだ。』
と喜び勇んで伝える朝鮮日報日本語版 。
しかしながら、日本領域参考図で一見日本の国境線のように見える点線は、日本海から東は日付変更線(東経180度、西経180度)まで続いており、南は赤道まで続いているのである。朝鮮日報の言う通りの国境線だとすれば、占領下の日本は広大な領土領海を持っていたということになる。
+++++++++2016年10月2日追記++++++++++
朝鮮日報の記事へのリンクが切れているので、下記に記事を貼り付ける。
東海(日本海)に一直線で引かれた国境線が、鬱陵島の東側を通過している地図がある。国境線は、独島(日本名:竹島)付近で右に曲がり、半円形を描いている。独島が日本領ではなく韓国領だという事実をはっきりと示しているのだ。この地図は、昨年公開された「日本領域参考図」で、1951年8月に日本政府が作った。
8日午後1時から、ソウル歴史博物館で独島学会と独島研究保全協会の学術大会「日本の安倍政権の独島侵奪政策強化趨勢(すうせい)と韓国の独島領有権の明証」が開かれる。発表者の一人、チョン・テマン独島研究フォーラム代表は、「日本領域参考図」が持つ意味について説明した。
「日本領域参考図」は、1951年9月のサンフランシスコ平和条約調印直前に作られ、条約の批准過程で日本政府は、この地図を条約の付属地図として国会に提出した。日本の国会もまた、この地図を付属地図として条約を承認した。チョン代表は「日本の政府と国会、いずれも『独島は韓国領』という事実を認めた」と語った。
同じく発表者のキム・スヒ嶺南大学独島研究所教授は、1905年に日本政府が独島の領有を宣言した際の論理「無主地先占論」が、既に1876年から「鬱陵島侵略」の動きと共に始まっていたことを明らかにした。当時、武藤平学という日本人が、松島という島を開拓しようという案件を日本の外務省に提出したが、この「松島」は鬱陵島のことにほかならなかった。外務省はこの案件を保留にしたが、これを契機として海軍提督・榎本武揚が、1878年に軍艦まで動員して鬱陵島に侵入した。万国公法上、「無主地で3年居住した後、居住者の国家が『領有』を宣言すれば、その国のものになる」ことを狙っていたからだ。この侵入は、わずか3年で朝鮮政府に発覚、失敗したが、後に独島領有の論理へつながったという。
8日の行事では他に、パク・ヒョンジン国際海洋法学会理事、ユ・ハヨン東北アジア歴史財団研究委員が発表者として、シン・ヨンハ・ソウル大学名誉教授、鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女子大学教授などが討論者として登場する。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
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『日本領域参考図(1951年10月22日発表)解説』世宗大学独島総合研究所編2014.8.26で発表された文章
世宗大学独島総合研究所が、私がwebで発表した『日本領域参考図』について解説文を出している。
『日本領域参考図(1951年10月22日発表)解説』世宗大学独島総合研究所編2014.8.26で発表された文章には、日本領域参考図の日本周辺部分のみを掲載して、次のように解説している。
「結局、日本領域参考図に対する日本側の主張は、1951年10月22日の時点では、1946年に定められたマッカーサーラインが残っており、マッカーサー・ラインは、独島を日本の行政区域から除外したため、この時点で配布された「日本領域参考図」は、独島を韓国領土のように記載するしかなかったというというところにある。(後略)」
しかし、日本領域参考図で日本の領土線のように見える点線は、日本海から東は日付変更線(東経180度、西経180度)まで続いており、南は赤道まで続いているのである。領土線とすれば、占領下の日本は広大な領土領海を持っていたということになる。
しかも漁船操業許可区域(Area authorized for Japanese fishing and whaling)と明記されているのだ。
地図の都合のよいところを一部分抜出し、漁船操業許可区域を表す点線を領土領海線と捏造する南朝鮮の学者は良心というものを持っていないに違いない。
南鮮で話題にしている点線の全体図を見てみよう。
これが日本の領土を示す線ならば、なんと広大なことだろう。この説明については私のブログを参考にして欲しい。
参考: