History / 竹島 「日本領域参考図」 1951年10月22日     第12回国会衆議院  平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 資料

「日本領域参考図」は1951年10月22日の第12回国会衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で質疑応答の対象となった地図である。この地図にあるのはマッカーサーラインであり、日本漁船の操業許可区域を示すために点線を引いていると政府説明が行われている。

竹島侵略を隠れ蓑にする殺人者 李承晩 山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件

【南鮮史:山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件】
 
1951年2月7日、第11師団第9連隊第3大隊は山清郡今西地域芳谷里佳峴村に進撃し、家屋を焼き払った。金目の物を集めた後、村の住民123人を渓谷に突き落としたり、四列横隊に並ばせて銃殺、さらに芳谷村民212名、咸陽郡休川地域桐江里村民60名、花渓里、自恵里と咸陽郡柳林の西洲,蓀谷,池谷村の軍警察の家族以外の住民310名を虐殺し、犠牲者は計705名にのぼった(山清・咸陽虐殺事件)。
 
さらに2月9日、居昌郡神院で民家78世帯に放火し、住民80名余を殺戮。2月10日、苽亭里、中楡里、大峴里、臥龍里の全民家を焼き払い、疎開させるという理由で住民を連行し、隊列に遅れた老人20名余を射殺し、女子ども100名余を大峴里担凉渓谷で虐殺した。2月11日には、神院初等学校に強制収容した苽亭里,中楡里の全住民と大峴里,臥龍里の住民1000名のうち軍警察、公務員、青年防衛隊の家族をのぞく540名余の住民を珀珊渓谷に集め、機関銃などで射殺し、焼却した。この居昌虐殺事件の犠牲者は719名であった。
 
山清・咸陽と居昌の事件の犠牲者総計は1424名にのぼった。
 
参考文献
李昌鎬朝鮮戦争期の民間人虐殺事件に対する 刑事法的対応 ――山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件を中心に――」立命館法學 2012(2),  p1157-1184.