竹島「日本領域参考図」1951年10月22日 第12回国会衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会資料

「日本領域参考図」は1951年10月22日の第12回国会衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で質疑応答の対象となった地図である。この地図にあるのはマッカーサーラインであり、日本漁船の操業許可区域を示すために点線を引いていると政府説明が行われている。このブログでは竹島と日本海と朝鮮半島を扱う

ニホンアシカ 竹島を不法占拠している韓国に責任はないのか

さて、「日本海にある竹島では、昔から日本人たちがアシカ漁とアワビの採取をしてきた」という文章を「日本人はアシカの 皮と油のため不法でアシカを残虐に捕獲しました」と、性懲りもなくあの韓国教授がパロディを作成していますが、竹島を不法占拠している韓国に責任はないのでしょうか。


+++++【島根県 竹島問題資料室から引用】+++++

ニホンアシカはどこに


日本の周辺には古来からにニホンアシカが生息していました。「日本書紀」や「出雲国風土記」といった古代の本にも書かれ、江戸時代にかけて「ミチ」「ミチノウオ」「トド」と呼ばれていました。


隠岐の、隠岐の島町の白島や、西ノ島町三度(みたべ)では大正時代(1912~1925年)までアシカ猟が行われていました。三度にはアシカを供養する「トド塚」が建てられ、今も常福寺の境内にあります。アシカ猟をしてその皮や油を利用したり、動物園で見る人を楽しませてくれたことへの感謝の気持ちが込められています。


島根県隠岐の島町竹島ニホンアシカの繁殖地でした。竹島女島(西島)の洞窟でメスのアシカは赤ちゃんを産み、育てていました。

 


1904(明治37)年に「りやんこ島領土編入並ニ貸下願」を提出した中井養三郎は、アシカの保護の方法も細かく書いて提出しました。
1934(昭和9)年には10,000頭くらいはいたことが、当時の新聞記事からわかります。漁業権を持っていた橋岡忠重さんの記録では1941(昭和16)年まで、動物園やサーカスに売るために20頭前後を生け捕っていたと書かれています。


その後日本人による竹島でのアシカ猟は行われていません。


1951(昭和26)年11月に境高校水産科の朝凪丸が調査に行った時には「アシカが100頭内外」いて、1953(昭和28)年、隠岐高校水産科の鵬丸も竹島ニホンアシカを見ています。
竹島に海洋警察隊が常駐するようになった1954年には、韓国の動物学者の報告をもとに、200~500頭が生息していたと言われていますが、1970年代半ばを最後に、その後は目撃されていません。


「海驢(アシカ)ノ保護方法」を考えた中井養三郎の願いはかなわず、ニホンアシカ竹島から姿を消してしまいました。

 

 

韓国の大学教授による「島根県の“竹島”広報物」のパロディを紹介する画像と記事

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